Running Writer

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“走る”フリーライター・三河の、ランニングブログです。日々のトレーニングやレースレポートなどを、ランニングを楽しむための情報を中心に発信中。仕事や家族などその他の情報は、別ブログ『いいでしょ?僕の人生』で綴っています。


私は、現時点でたいしたランナーではありません。ランニングを始めて3年経ちましたが、サブ3を目指しながら、まだその影も見えていない状態。唯一、大学まで取り組んだ陸上競技によって、競技に必要となる知識は持っていると思います。
では「学生時代に輝かしい成果を残したか?」と言われれば、それも「No」です。非常に平凡な選手。上には上がいるものです。それでも性懲りもなく、30歳になってもマラソンやトライアスロンを競技しているし、むしろスポーツを仕事にまでし始めているんですね。

そんな私でも、周囲からは「凄い」と見えることがあるようです。それは恐らく、どんどんいろんなレースに挑戦しているし、何より“痩せた”からでしょう。ランニングを始めて20kg痩せましたし、2kmでヘバッていたのに、いつの間にかウルトラマンを仮装で走っています。確かに、自分でも驚くような経験を得ました。
しかし私には、才能なんてありません。「俺には才能がないから無理だわ」なんて言われることがありますが、私も同じなんです。それは、これまでの競技生活で分かっています。今日は、そんな「才能」について少し触れておきたいと思います。

■才能と努力
経験から言えば、スポーツについて“才能”というものは確かにあると思っています。持って生まれた身体には、その根底となる機能差があるわけです。それは高低だけでなく、質もまた然り。そしてその中で、“努力”を始め、継続した人こそが、日本を代表するようなアスリートになっているわけです。つまり、才能溢れるアスリートの多くは、努力の天才でもあるのでしょう。
本人たちは、

「自分には才能なんて無い」

なんて言います。しかしそれは嘘なのか、気づいていないだけでしょう。私も大学まで陸上競技に取り組み、そして今もなおマラソンやトライアスロンを競技する中で、ときに羨ましく思うほど痛感しています。
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ただし彼らは、間違いなく人一倍の努力をしているんですね。才能ある人が努力によってそれを磨けば、輝くのは時間の問題。あとは、その輝きを支えてくれる人々に出会えるかどうかでしょう。結果を残す人の後ろには、それを支える人の存在があるものです。

■努力で才能を超えられるか
しかし、努力が才能を超えられないとは思っていません。ただし、「倍努力すれば」なんて優しいものではなくて、5倍、あるいは10倍必要かもしれない。私には才能を超えた経験などありませんが、少なくとも倍では足りないはずです。しかし、

「自分は才能がないのだから、努力でカバーするしかない」

腹をくくった人は、本当に強いと思います。
でも、それはトップアスリートの話。市民ランナーにとって、戦うべき相手は自分自身でしょう。ダイエット目的にしろ記録を狙うにしろ、超えるべきは“過去の自分”に他なりません。ですから、

「自分は才能がないから」

なんて言うのは、意味のないことなのです。たとえ本当に才能がなくたって、走ることはできます。もちろん、周囲に偶然にもランニングを始めた中から、才能が開く人もいるでしょう。そうした人と比べて嫉妬する気持ちも分かります。
しかし、多くの市民ランナーにとって、比べることなど不要。目標、あるいは切磋琢磨する相手を持つことは大切ですが、そこで自分を下に見る必要などありません。

■才能を超える力
人には、きっと何かしらの才能があると思っています。しかし私にとって、それは陸上競技やマラソンなど、過去に取り組んできたスポーツではありませんでした。もし才能ある“何か”に出会っていたら、今頃その分野で活躍していたかもしれません。

でも、ただそれだけのことです。

今現在、私は走ることが好きでマラソンやトライアスロンを競技しています。なぜなら、それが好きだからです。好きであること。それだけで、取り組み続ける価値があると思っているのです。どこにあるかも分からない才能を求めるより、好きなことをやっている時間が一番充実していて、大切に感じます。
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特に競技を続け、記録を狙うアスリートほど「もっと才能があったら」など自分自身を責めてしまいがちです。しかし、実はすでにその人は、いくつかの才能が開花しているのではないでしょうか。それは、
  • 自らを妥協なく追い込める才能
  • 好きなことを手放さない才能
  • 努力を続ける才能
といったところ。いつまでも競技を続けていきたいと考えているのであれば、むしろ身体的な才能よりも欲する才能だと思います。私はこうした才能を、経験から培われる“二次的な才能”だと考えています。先に「才能あるトップアスリートには努力の才能がある」と言いましたが、これも努力を続けたことによって得られたもの。そしてその根底には、

「もっと速くなりたい」
「まだ見ぬ世界を見てみたい」

といった気持ちがあり、それは“競技が好きだから”こそのものだと思うのです。そう考えれば、この二次的な才能は、誰にでも身に付けられるものではないでしょうか。少なくとも、私はそう考えています。

マラソンで言えば、サブ3はランナー全体の3%と言われます。3時間と言っても、トップ選手から見れば入口でしょう。しかし、仕事などの合間でトレーニングを重ねる市民ランナーにとっては、それこそ何らかの才能を開花させないと届かない記録ではないでしょう。それは恐らく、遅咲きながらトレーニングによって身体的な才能が開いたランナーか、上記のようにそれをも凌駕する才能を得たランナーのみ成し遂げられるのだと思います。

■楽しむのは誰にでも自由
これまで才能について書き連ねましたが、つまり私もまだ発展途上。サブ3を達成するには、もう一段階、殻を破る必要があるのでしょう。そのためには、考え、努力を続けるしかありません。その先に、“何か”の才能が花開くことを願って。

しかし正直に言えば、走ることに才能なんて不要です。“楽しむ”ことこそ一番でしょう。そして、楽しみ方もまた人それぞれです。何もランニングを始めたからと言って、マラソンに出場しなければいけないのではありません。健康目的ならば、習慣的に走っていれば十分でしょう。疲れて走りたくなければ、走らなければ良いのです。ただ走ることを楽しみとしている人にとって、心身に無理をかける必要はないでしょう。速く走りたい人が、毎日のようにトレーニングで自分を追い込めば良いのです。

競技するとしても、フルマラソンで記録を狙ったり、ウルトラマラソンに挑戦したり。あるいは、トレイルランニングやトライアスロンなど、他の種目へと繋げていくのも1つの方法。楽しみ方は、それこそ無限に広がっていくでしょう。 

私はサブ4がなかなか達成できなかったとき、「スランプだ」と言って深く悩みました。それこそ「才能がない」と落ち込んだ日々もあります。しかし、

「才能ないんだから、サブ4したけりゃ努力するしかないじゃん! 」

と思い立ち、トレーニングを自分なりに見直して工夫。サブ4を達成し、直後にサブ3.5まで到達しました。今はサブ3の壁に圧倒されつつありますが、 それこそ望むところ。どれだけ努力したらたどり着けるのか、楽しみでしかありません。

走ることを楽しみ続けるために、自分にとって必要な才能を。気負わずマイペースに、自分なりのランナー人生を送っていきたいものです。
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