Running Writer

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“走る”フリーライター・三河の、ランニングブログです。日々のトレーニングやレースレポートなどを、ランニングを楽しむための情報を中心に発信中。仕事や家族などその他の情報は、別ブログ『いいでしょ?僕の人生』で綴っています。


まもなく3月になると、中学陸上競技部での指導を始めて3年が経ちます。つまり、初年度に教えていた生徒たちが、全員卒業するということです。時間の流れは本当に早いですね。
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私が指導しているのは区立中学のため、来年度もまた同じ学校からオファーがあるかは分かりません。陸上競技を教えられる教員が入ってくれば、学校側としても、わざわざ外部から指導者を招く必要がない(招けない)んですね。そのため、毎年この時期になると考えるのが、

『これから指導者としてどうするか?』

ということ。今日はその延長で、私自身の指導者としての考え・スタンスについて触れてみたいと思います。

■過去の経験を土台とした指導スタンス

私は中学時代、指導者がいませんでした。そのため毎日のトレーニングは自分たちで考えており、今思えば本当にめちゃくちゃ。駅伝だけは教頭先生が教えてくださり、競技者として大いに影響を受けたことを覚えています。

高校ではちゃんとした顧問がいましたが、残念ながら長距離経験者ではありません。そのため、あまり具体的な指導を受けた記憶はなく、部長がメニューを決めて取り組んでいました。さらに言えば、大学でもほとんど同じような状態。しかも十種競技は他に選手もいなかったので、ほとんど1人で調べ、ネット経由でアドバイスをもらうなどして取り組んでいたんです。

そもそもポテンシャルの問題でもあるんですが…指導者に恵まれていたら、もう少し違った競技人生を送っていたかもしれません。こうした自分自身の競技人生は、今現在、指導する側としてのスタンスに反映されているようです。

■指導者として今ある強み

私は現在32歳。短いながらマラソンやトライアスロン競技に取り組んでいるので、現役時代とは比較にならないものの、中学生ならば負けずに走れるだけの走力があります(トップレベルの選手では負けますが…)。そんな私にとって、
指導者としての強みは“走れる”こと。そして自らも競技者として、“ちゃんと練習すれば伸びる”ということを体現できることです。

ランニングドリル、体幹トレーニング、ラダー、ハードルジャンプ、スタブロetc...

陸上競技にはさまざまなトレーニング方法があります。“走る”こと1つ取っても、例えば長距離なら『ペース走』『ビルドアップ
走』『インターバル走』『フロート走』『タイムトライアル』など多様。ちゃんと指導を受けたことがなければ、

「それって何?」

状態ではないでしょうか。たとえ意味を知ったところで、

「じゃあ、実際どうやるの?」

と疑問は尽きません。しかしそれで「分からないから、とりあえず走ろう」では、残念ながらとても非効率なトレーニングになってしまうでしょう。

これは私の持論ですが、指導者がそれを“見せられるか”どうかは、生徒の成長スピードにもの凄く関係してくると思っています。例えばフォーム改善にしても、言葉より実際に走ってみせた方がイメージし易い。これは先に挙げたトレーニングすべてに共通することです。

聞いて、見て、実践する

この繰り返し。 “実践する”部分は本人のやる気次第ですが、“聞かせる(=伝える)”ことと“見せる”ことは、ただ“聞かせる”だけで実践に移るより間違いなく効率的でしょう。改善すべき点や誤っている点があれば、再び見せながら教えます。ただ「腕が振れていない」と言っても、恐らくちょっと動きが大きくなる程度でしょう。では相手の腕振りを真似て見せ、改善点を伝えたうえで理想の腕振りを見せてあげれば? 何が違うのか、
何を直せばよいのかが一目瞭然です。
 
■輝く人をしっかり輝かせてあげたい
 
中学・高校の場合、その多くは指導者が不在、もしくは『短距離型or長距離型』で別れてしまいます(前者の率が高い気がする)。先に述べた通り、私自身もそういう環境にいました。そうなると、例えば元短距離選手の人でも長距離のことを勉強して教えることになるのが必然です。
もちろん知識は得られるし、それをもとに口で指導することはできます。しかし残念ながら、自分自身が体験として知らないので、とっても分かりづらく本人も曖昧なまま教えることになるでしょう。

「じゃあ、やってみせて」

と言われても、見せることができないのです。あるいは年齢的な問題、あるいは現在競技を継続していないことによって、
経験があっても身体的に見せられないケースも少なくありません。

もう1つ、見せることによるメリットがあります。それは、教えられる側からの
納得感です。

中学校で教えていると、よくこう言われます。 

「やって見せてくださいよ」

指導内容に半信半疑なのか、言われていることの意味が分からないのか。もしかしたら、試されているのかもしれません。しかしだからこそそれに応えると、生徒たちは関心すると共に、文句など言わず実践へと入っていきます。ここで私が実際に見せられなければ、

「自分でできないことをやらせるなよ」
「なんで教える人ができないの?」
「本当にやる意味あるの?」

 
など、不信感が生まれてしまうのではないでしょうか。特に年齢が若いほど理解力は発展途上にあり、また、土台となる知識も少ないため、口頭指導だけでは限界が早く訪れる気がします。
それでも強制的に取り組ませることはできますが、納得できない状態では集中・吸収せず、思うような効果は得られません。すると「やってるのに伸びない」とさらなる不満が生じ、悪循環に陥ってしまいます。
恐らく全国各地を探せば、こうして『磨けば光るのに、光らせてあげられる存在がいない』選手がたくさんいるはずです。

もちろん私も、いつまでも永遠に見せられるわけではありません。走ることは続けられても、競技力という面では、年齢と共に落ちていってしまうでしょう。そうなれば、今度は『見せられる人を育てる』ことが求められてくるかもしれません。

■競技者としても手本でありたい

新しい発見、そして成長があると、子どもたちは本当にイキイキと取り組んでくれます。

「走ることが楽しい」
「記録が伸びて嬉しい」

という感情は、何より競技するうえでの意欲に繋がることでしょう。そしてその感情のタネを与えられるのが、私たち指導者だと思っています。

ただ指導するだけでなく、競技者としても手本であること。

成長・進化してもらうために、自分自身もまた成長・進化し続けること。


これが、私にとって指導者としてのスタンスです。

最近はマラソンのパーソナルトレーニングも行っていますが、それもまた同じこと。
私には競技歴以外に専門的バックグラウンドなんてありません。理論だけでなく、それに基づく競技力を示すことが大切です。元トップアスリートなどのメソッドが高い信頼度を持つのも、本人の競技力が裏付けとしてあるからでしょう。私は「すごい競技者だったから指導者としても優れている」とは考えていないのですが、信頼度という観点では納得できます。ですから昨年達成したサブ3は、そのうえで私にとっての最低ラインです。

果たして来年度、私は指導者としてどこに身を置いているのか?

小学生向けに“裸足ランニング”を取り入れた『走り方教室』もやってみたいですし、新しい形でのランニング指導にも挑戦してみたいと模索しています。細々と取り組んできたマラソンのパーソナルトレーニングも、ちょっと本腰を入れてみるつもりです。

何より少しでも多くの人々が、年齢・性別問わず“走る”ことを楽しめるように。

競技者・指導者の両面でまだまだ未熟ですが、私もまた日々成長を目指し取り組んで参ります。パーソナルトレーニングや学校・団体での指導オファーなど大歓迎ですので、ご興味のある方はホームページFacebookなどでお気軽にご連絡ください。
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