Running Writer

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“走る”フリーライター・三河の、ランニングブログです。日々のトレーニングやレースレポートなどを、ランニングを楽しむための情報を中心に発信中。仕事や家族などその他の情報は、別ブログ『いいでしょ?僕の人生』で綴っています。


今朝仕事していると、Facebook経由で『「ファンラン」旋風の日本上陸 市民マラソンはやがてハロウィンになる?』というタイトルのニュースが流れてきました。いつもトウモロコシ等の仮装で走っている身としては、やはりチェックせずにはいられません。しかし中身を読んでみると、とにかく偏見とも思える内容が。1人の仮装ランナーとして、ちょっとニュースを部分的に切り出しながら、私なりの意見を述べておきたいと思います。
「月刊レジャー産業資料」(10月号)によると、ファンランの目的は「楽しみながら、ゆるく走ること」。2012年、米国で誕生した。距離やタイムへの執着とは関係なくランニングを楽しみ、プラスアルファのイベントを加味してランナーの入門層を掘り起こした。産経ニュースより引用) 
残念ながら『月刊レジャー産業資料』は見たことがありませんが、同資料は“ファンラン”を上記のように定義しているそうです。なぜ「ファンラン=ゆるく」なのか...分かりませんしかも記事では、この流れから「仮装=ファンラン」と結びつけています
私は「ファンラン=楽しく走る」と考えていて、何が楽しいかは人によって違います。もちろん仲間と喋ったり、応援の方々に声を掛けたりしながら走るのも1つ。しかし、例えば「仮装することで周囲から応援を受け、それを力にして全力を尽くす」のもファンランではないでしょうか。

例えば100kmマラソン、私の自己ベスト(9時間08分11秒)は仮装して出したもの。そしてもちろん、仮装せず走っていたときより上がっています。仮装姿を見た方々が、嬉しそうに声を掛けて下さる。それだけで、メンタル弱い私の挫けそうな心にやる気が満ち溢れますつまりメンタルの弱い私にとって、仮装は自己ベストを出すための手段でもあるのです。

ちなみに「2012年に米国で誕生」という点が納得いかず調べましたが、どうも確かなソースが見当たりません。東京マラソンは2007年から始まっていて、この時点でも仮装ランは存在しました(というか、確か大会側が仮装OKを概要として告知していたはず)。言葉として...という意味かとさらに調査したところ、2011年に『2011芦屋国際ファンラン』なる大会を発見。しかもこの大会、主催者が「サンケイスポーツ、産経新聞」って書いてあります。この時点で、記事そのものの信頼性が疑われてなりません。
市民マラソン事情に詳しい関係者は「マラソンは仮装行列ではない。公道の使用や交通規制などの協力・理解のもとに成り立ち、沿道で応援する者にとっては共感や感動がキーワードになっている。覆面を付ければ、視界は悪くなり、ランナー同士の接触事故の可能性も出てくる。事故が起きてからでは遅い。マラソンの趣旨をはき違えた行為は自粛すべきだ」と警鐘を鳴らす。(産経ニュースより引用)

この“関係者”が 誰なのか書かれていませんが、恐らく仮装で走ったことなどなく、また、記録狙いのシリアスレースしか出たことがないのではと感じました。そもそもマラソン大会にも今は色んなコンセプトのものあがって、例えば仮装歓迎だったり、仮装賞を設けたりする大会もありますから。ランナーというより市民マラソンというそれ自体が変化しているのに、それを知らない(目を背けている?)気がします。

確かにマラソンは、仮装行列ではありません。しかし「マラソンの趣旨」って何なのでしょう?記録を狙うだけがマラソンではないし、それこそ“走る”ということを楽しむ人が増えるなら、それはマラソン市場にとってプラスなのでは。また、「共感や感動がキーワード」というのも良く分かりません。何に共感・感動するのかなんて人それぞれだし、仮装ランナーを見て共感を与えることもできます。

「仮装までして、盛り上げてくれてありがとう」
「仮装してるのに、そんな速いなんて凄い」
「楽しく走ってくれて嬉しい」

など…。これ、すべて過去に仮装して走った際にかけて頂いた言葉です。
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ただし1点、接触事故等については賛成です。ときどき、周囲にまで迷惑になる仮装を見かけますが、これはいただけません。走るのに支障なく、周囲に迷惑をかけないこと。事故が起きれば大会運営側が責められますし、もしかしたら以後“仮装禁止”となって他ランナーも仮装できなくなるかもしれません。ランナーとしての常識は、崩さずにいたいものです。しかしこれも疑問なのは、過去の経験上「むしろ先頭ブロックで記録狙いのランナーの中で走った方が、他ランナーと接触したな」ということ。だってみんなが記録を出すために必死で、周りなんて見えていませんから。特に混雑するスタート直後や給水所は、スピードが速いからこそ危ないシーンが多いように思えます。
「ここ数年、どんな大会にも必ずといっていいぐらい、かぶり物で走るランナーが登場する。コスプレはやりたい人だけがやればいい。普通のランナーは少しでもいいタイムで完走することを目的としている。つくづく日本人はお祭り好きなんだなと思う」産経ニュースより引用) 
うん、やりたい人だけコスプレすれば良いですよね。でも“普通のランナー”って何なのか。タイム目的のランナーって、実はそこまで多くないと思います。完走目的だったり、コースの景色やエイドを楽しみにしていたり。東京マラソンなんて、「当選したから練習しなきゃ」くらいの人もたくさんいますよね。これは反対語で考えると『仮装=異常』って話になるんですけど、その考えこそ偏りまくっておかしいと思うのは、私だけでしょうか。
今夏のリオデジャネイロ五輪にカンボジア代表として男子マラソンに出場した猫ひろしは、かつて市民マラソンのレース中に「ニャア~」と叫ぶお決まりのポーズを取って沿道の観客にアピールしていたが、五輪を意識するようになってからは無意味なポーズをせずに黙々と走っている。産経ニュースより引用)  
ここで猫ひろしさんを出す当たり、ちょっと狡いですね。これは、猫ひろしさんにとってマラソンの楽しみが記録にシフトしていて、そのために「『ニャア〜』しない」という選択がなされただけのこと。そして、そもそも仮装と声&ポーズって別ものでしょう。ちなみに私も、サブ3を狙ったときは仮装しませんでした。その大会で、私の求める楽しさは“サブ3を果たすこと”だったので。
1秒でも速くゴールテープを切りたいと血眼になってレースに臨むランナーがいる中で「ファン」の要素ばかり求めるのはいかがなものか。(産経ニュースより引用)
あくまでこの記事では、「記録狙ってガチで走っている人が優先」なんですね。しかしマラソン大会というのは参加者全員に向けたものであって、ガチランナーだけのために存在するものではありません
仮装を受け入れるか否かは、大会側が決めることでしょう。それなら最初から仮装NGの大会、ガチランナーしか出ない大会に出れば良いだけの話。例えばサブ3.5が最低ラインの『別府大分毎日マラソン』や、仮装NGの『京都マラソン』など。そうでない大会に出るのであれば、お互いがお互いの楽しみ方を尊重して然るべきだと思います。
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ちなみに記録狙ったガチランナーって、ジェル等のゴミをその辺に捨てる方が多いですよね。これももちろん偏見なんですけど、ここで言う“ファンラン”する方と比べたら、間違いない事実だと思います。これだって大会運営者、参加者、あるいは開催地の方々から見て迷惑以外の何者でもありません。

これまでにないもの、自分と違うものを排他的に考えるのは悲しいことです。もちろん前述の通り、周囲の迷惑になるような仮装はいけません。でもそれは、ゴミ捨てなどの行為と何も変わらないでしょう。仮装することは、仮装ランナーにとってマラソンを楽しむための手段です。それを悪だとするのなら、マラソンが広く楽しまれる生涯スポーツとして定着することは難しいでしょう。いつまでも「マラソンは記録を目指すもの」と掲げるのは、むしろマラソン業界の低迷に繋がるように思います
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