11月24日(金)~27日(月)の3日間にわたって開催された、『』。2日目までは、ある程度の余裕を持ち、順調に進み続けることができました。沖サバといえば多くのランナーの挑戦を阻む辺戸岬も1時間以上の余裕を持つことができ、気持ちにも少し安堵というか緩みが生じていたのかもしれません。そう簡単にゴールを迎えられるわけはなく、本当の闘いはここから始まりました…
・参考:幻聴、幻覚、気絶...「2023沖縄本島1周サバイバルラン」を走破(前編)
3日目(11/26)|試練の訪れ
ここから先は、ちょっと記憶が曖昧なので誤った部分があるかもしれません。疲労と精神的ストレス、そして眠気がいよいよピークになり、断片的にしか経過を覚えていません。辺戸岬を出たのが11/25(土)21時前頃のこと。そこからしばらく海沿いの真っ暗闇を進み続け、やがて11/26(日)を迎えました。あくびが頻繁に出始めたので、完全に眠くなる前にと高濃度カフェインを摂取。ものすごく時間ギリギリというわけではありませが、できればこの夜も眠らず超えたいのが正直なところです。最終チェックポイントを越えれば時間が余裕になるので、ここに制限の2時間前には到着して2~3時間眠る。これが、当初予定していたスケジュールでした。しかし、カフェインが効いたのは2時間ほど。明るくなるまでもって欲しかったですが、再び眠気を感じ始めます。フッと意識が飛ぶようになったので、「これはダメだ」と仮眠を取ることに。ちょうど斜めになった脇道を見つけ、足を上にして5分眠りました。これだけでも、頭がスッキリするから不思議です。
仮眠に合わせて、しっかりマッサージとストレッチ。アップダウンが減ったので、できるだけ走りを増やそうと考えました。前腿の痛みが厳しいので、膝が曲げられなくならないよう定期的に屈伸。声が出てしまうほど痛いですが、しっかり伸ばすと走れるようになります。足裏も痛みが大きくなり始め、5km毎くらいで屈伸と足裏マッサージを交互に行いながら進みました。
しばらくすると、別れたはずのランナーと出会います。どうやら、完走を目指して各自のペースで進もうという話になったようです。私たちも一緒に走るというわけではないですが、抜いたり抜かれたりを繰り返す形に。そのうち朝を迎えると、太陽の光を浴びて眠気は吹き飛びます。少しずつ気温が上がるのを感じながら、引き続き走ったり歩いたりを繰り返して目指すは第5チェックポイントの瀬底島。295.5km地点、制限時間は丸2日となる48時間です。以前に家族旅行で訪れたことがあったので、近くに着くとすぐにわかりました。
瀬底島へ行くには、約900mの瀬底大橋を渡らなくてはいけません。風が弱くて助かりましたが、目の前にするとなかなかの坂道。しかし、先行するランナーとすれ違えたことで、少し気持ちが上がりました。チェックポイントには46時間47時間で到着。余裕とは言いませんが、関門には1時間以上あります。すぐ出発するか、それとも休憩するか。悩んだ末、少しだけ仮眠することにしました。
マッサージ&ストレッチしてトイレに行き、15分ほどの滞在で出発。まだ一人になりましたが、目が覚めて身体も軽く感じます。残すチェックポイントは、ゴールを除いて1つだけ。58.5km先にある残波岬さえ関門を通過してしまえば、そこから先はすべてゆっくり歩いても問題ありません。なんとか1時間前には入り、3時間ほど睡眠を取りたい。足は痛くても動きます。残り100kmを切った終盤戦、心のどこかに「これなら大丈夫」という安堵がありました。しかし、この気持ちの緩みがいけなかったのかもしれません。
引き続き走ったり歩いたりの繰り返し。急坂でなければ下りも走れるようになったので、「あそこまで走ろう」と都度目標を定めて進みました。しばらくは一人でしたが、何度か後続ランナーに抜かれます。ついていきたいところですが、残念ながら走ると言っても鈍足。背中を見続け、できるだけ見える範囲にいたいと足を思いながら足を進めます。
やがて日が暮れ始めた頃。たいぶ強い眠気に襲われ始め、たまに気を失うようになりました。そのたび飲み物を飲んだり、顔を叩いたり。なんとか目覚めさせて進めますが、限界は近いように感じます。とにかく、早く残波岬について眠りたい。その気持ちだけで身体を動かしていると、何度か追い抜かれたはずのランナーと出会いました。その方も同じように歩いたり走ったりの状態で、声を掛けると眠気に襲われ始めたとのこと。自然と一緒に進むようになりました。過去にも何度か完走されているベテランで、さすが足取りはしっかりしています。もしかしたら私は足手まといだったかもしれませんが、一人になると睡魔にやられそう。できるだけ邪魔にならないよう、なんとかついていきます。
ここからは記憶がかなり薄いのですが、恐らく関門から2時間ほど前のこと。周囲は真っ暗ですが、いよいよ残波岬はもうすぐだといったタイミングでトラブルが起きます。「ドリンクを買って行きます」と伝えてすぐ近くの自動販売機に向かったのですが、その直後でした。飲み物を手に振り返った瞬間、自分がどこから来たのか分からなくなったのです。一緒にいたはずのランナーも姿はなく、Google Mapを見てコースを進むものの、まったく追いつきません。ひとまずドリンクを飲み干してゴミを捨て、とにかく追いつくまで進もうと走るのですが、気が付くとコースを外れていたり逆走していたり。走っている間は良いのですが、痛みや疲労で足を止めると、その瞬間に記憶が飛ぶのです。
一度、ランナーではない通行人の方に起こされました。その方が言うには、私は自分と喧嘩していたのだとか。
「今寝てどうすんだ!」
「速く着いて、いっぱい寝た方がいいだろうが!」
そんなことを叫んでいたそうですが、もちろん無意識です。最初は酔っ払いの喧嘩かと思い遠目に見ていたものの、一人であることに気づいて声を掛けてくれたとのことでした。
そんな寝て起きてを何度繰り返したことか…それでも少しずつコースを進んでいるものの、目覚めるたび時間が経過していて、どんどん余裕がなくなります。焦りと不安。しかし、そんな気持ちとは裏腹に飛んでしまう記憶。ハッと気付いたのは、残り15分という時点でした。
さすがに危機的だったためか、フラフラした頭がスッキリ。いや、血の気が引くかのような感覚で眠気すら消えたのかもしれません。冷静にならなければと深呼吸し、周囲を見渡すも真っ暗闇。いくつかお店なのか家なのか建物があるエリアで、Google Mapを開きました。最終チェックポイントまでの距離は2.5km。すでに350km近く走っています。残り15分で2.5kmは、正直に言って絶望的でした。
「どうしてこうなった?」
「ここまで来て関門アウトなんて嫌だ」
頭の中が混乱しながら、一番大きかったのは自分自身への苛立ちでした。周りなど関係なく、自分を罵倒しながら走ります。とにかく、間に合うかなんて分からないけれど前へ。重くて痛む足。最後まで動けるようにと考えてきましたが、そんなこと言っていられません。コースは上り基調で、一生懸命に走ってもスピードは出ない。真っ暗闇の一本道は、より不安感を搔き立てました。
「まだ着かないのか?」
「どれだけ進んだ?」
「本当にこの道で合っているのか?」
誰一人いない暗闇を、スマホを片手にGoogle mapだけを信じて進みます。いつまで経っても明かりすら見えない中、少しずつ心が折れ始めたのが分かりました。走るペースが落ち始め、足がより重く感じ始めたとき。1台の車が目の前に現れ、こう声を掛けてくれます。
「三河さんOK!あと1kmだから!」
瀬底島のチェックポイントに間に合わなかった、知り合いのランナーでした。どうやらリタイア後、選手のサポートに回っていたようです。しかし、時計を見ると残りは5分です。そして目の前のコースはひたすら登り坂。声掛けに一瞬安堵したものの、すぐに大きな焦りにがこみ上げました。
ここからは、とにかく力を出し尽くしてのダッシュ。走っている間の記憶はほとんどありません。途中でまた違う知り合いのランナーが現れ、一緒に走ってくれました。あと少し、あと少しと声を掛けられるたびにペースを上げます。すると明かりが見えて「あれですか!?」と聞くと、そこはエイドでチェックポイントはもう少し先。折れそうな心をなんとか繋ぎ、全身を使って前へ。実際には1kmでも、まるで5kmくらいダッシュし続けたような感覚でした。やっと人の姿が見えたときは残り1分。計測器を探し、まっすぐに進んでチェック…なんとか間に合いました。354km地点、60時間の制限に対して、通過は59時間53分。当時は38秒前と言われましたが、ウェーブスタートだった分だけ少し余裕があったようです。
とにかく気持ちも身体も追い込んだためか、チェックポイント到着で涙が溢れてしまいました。ここさえ到着すればゴールできるという気持ちと、ここまでの努力が無駄にならなくて良かったという気持ちだったのでしょう。気付けば床に座り込み、立ち上がってみると足が動きません。
「まだゴールじゃないからね」
そんな冷静なツッコミも上手く返せないほど、まさに満身創痍の状態です。この後まだ36km、時間が余裕とは言え進み続けられるのか。そんな不安はありましたが、とにかく優先すべきは睡眠です。2~3時間は無理ですが、1時間だけ眠ることにしました。寒いのでシェルウェアを着て、下半身を持っていた雨合羽に包んで休息に入ります。
4日目(11/27)|気合のゴール
自然と目が覚めたのが、ちょうど仮眠に入って1時間後の11/27(月)1:45のこと。周囲を見るとランナーは誰もいませんが、スタッフやボランティアの方々が残ってくれていました。有難い気持ちと申し訳なさが混在する中、ひとまず身体の動きを確認。痛みはありますし物凄い疲労感ですが、動けなくはありません。15分で準備を整え、御礼を告げて再び進み出します。すでに最後尾ですし、他ランナーはずっと先に進んでいることでしょう。最後まで一人旅になることを覚悟し、まずは歩き始めました。走ろうと思えば、多少は走れそうです。しかし、いつ動けなくなるか分からない状態ですし、時間には多少の余裕があります。10時間で36km、1kmあたり16分半の計算です。実際に歩いてみると、何も意識しなければ1kmが14分でした。歩くにしても遅いペースながら、このまま維持すればゴールは間に合います。とにかく焦らず、ただ動き続ける。それだけを心に決めて進んでいくと、思いのほか早く他ランナーに出会いました。どうやら、残波岬ではなく少し先で休憩を取っていたようです。その後も1人のランナーを抜き、声を掛けさせて頂きつつゴールを目指します。
残波岬から10kmほど進むと、あとは家やお店などの多いエリアです。夜でも明かりが多く、気持ちの上では暗闇を進むより楽でした。1時間の睡眠が良かったのか眠気もなく、順調に進んでいきます。しばらく歩いたことで身体がほぐれたのか、なんとなく動きも良くなってきた気がしました。もし時間に余裕がなくなれば、多少なら走って巻き返せそうです。
周囲が明るくなり、朝が訪れようとした頃。太陽の光を浴びて目覚める…そのはずでした。しかし、再び強い睡魔に襲われ始めます。途中で出会ったランナーに心配されるほど、歩きながらもふらつくように。車道に出そうになって、「危ないよ!」と声を掛けられることもありました。この辺りからは、本当に記憶が断片的です。場所すら曖昧なのですが、気付いたらどこか建物の中で立ったまま寝ていました。夢を見ていたようで、何度か目覚めたはずなのですが、現実と夢との境界が曖昧で再び寝てしまう。これを繰り返し、2時間ほど経ったでしょうか。あたりはすっかり朝になっていました。
「またやってしまった…」
自分の弱さを責めますが、重要なのは時間です。残りの距離はよく覚えていませんが、1kmを16分半で進めば良かったはずが、計算すると14分弱で進まなければならなくなっていたのを覚えています。通常なら歩いても余裕ですが、今の状態ではギリギリです。しかも睡魔は拭い切れておらず、足は進めるもののフラフラ。その後も、一度気付いたら立ったまま眠っていました。
もしかしたら、思い切って30分でも仮眠した方が良かったのかもしれません。しかし、心の余裕がなさ過ぎて、「寝たら終わり」と思い込んでいました。ずっと一人、眠気と戦いながら進み続ける。自分がどこにいるのかすら曖昧な状態ですが、ゴールを目指す気持ちだけは持ち続けています。そして、その瞬間の記憶が曖昧なのですが、一人のランナーに出会いました。ふらつき、たまに寝落ちする私を心配になったのか、何も言わず一緒に進んでくれます。あまりに眠そうにしていると「起こすから少し眠りな」と言ってくれたり、ふらついて道路に出そうなところをブロックしてくれたり。この方がいなければ、ゴールにたどり着くことなかったかもしれません。本当に感謝です。
他レースのことや地元のこと、沖縄のことなど色んな話をしました。会話していると、やがて睡魔にも襲われにくくなり、「ゴールできる」という気持ちが強く持てるようになります。その安堵からか空腹感があり、ゴール直前ではありながらコンビニでポークたまごおにぎりを購入。食べてみると美味しくてお腹が満たされ、さらに睡魔がなくなりました。今思えば、もしかしたら低血糖状態にあり、これが眠気をより誘発していたのかもしれません。
やがて、見慣れた那覇の街並みが目に飛び込んできます。時計に目をやると、時間にも余裕がありました。走り出したい気持ちを抑え、着実に1歩1歩。そして最後、私から「走りましょうか」と声を掛けさせて頂き、ゴールすることができました。ゴールタイムは71時間10分58秒。24位でのゴールです。ゴールにはたくさんのスタッフや走り終えたランナーがいらっしゃり、拍手と声援で迎えてくれました。
「やったね!おめでとう」
「よくたどり着いたね」
「お疲れさま」
色んな声を掛けて頂きながら、一気に身体の力が抜けます。目頭が熱くなり、完走したという実感と共に涙が溢れてきました。初めて沖サバシリーズであるT.O.F.Rに出場し、DNFしたのが10年前のこと。実にそれから、10年越しで達成した完走です。あの頃と比べて、少しは強く成長できたでしょうか。
私にとって、沖サバは特別な大会です。この大会を通じて出会った人々との繋がりは、走ること、あるいは生きるうえでも非常に大切なものとなっています。だからこそ、本当は一度で良いから走り切ってみたかった。諦めず挑戦してみて、本当に良かったと思います。もちろん、自分一人の力ではゴールできませんでした。スタッフや選手、支えてくれたすべての方々に心から感謝です。次の目標は決まっていませんし、「来年の沖サバも出る?』と聞かれれば即答できません。まずは身体を癒し、再び走り始めてから考えます。
ありがとうございました!!!
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